今、この日本で虐待の容疑がかからないようにするには ~人の子どもを抱っこしたばかりに、虐待の容疑をかけられることもある!
前回の、脳外科医の藤原一枝先生による「虐待の容疑者特定のプロセスの理不尽さ」についてのブログには、藤原先生のところに医師をはじめ、関係者や親御さんから「これは大変だ」という声がたくさん届いたそうです。
この虐待の犯人探しの実際を知れば、怒りとともに、自分はこのワナにはまらないようにしよう、と思うはずです。
今回は自分の子どもでなく、他人の子どもを抱いたばかりに虐待の容疑をかけられたお話を藤原先生におまとめいただきました。
人の子どもは安易に触れない! なんだか世知辛い思いがしてきます。
藤原一枝
藤原QOL研究所 代表
元・東京都都立墨東病院脳神経外科医長
愛媛県松山市生まれ。岡山大学医学部卒業後、日赤中央病院(現・日赤医療センター)小児科・国立小児病院(現・成育医療センター)小児神経科を経て、1974年から東京都立墨東病院脳神経外科勤務。1999年藤原QOL研究所設立。2012年からの中学1,2年の武道必修化に対し、青少年の柔道事故死の中に脳振盪軽視があることを分析し、警告を発した。国際的なスポーツ脳振盪評価ツール(SCAT)を翻訳し、公開している。
出版物は「まほうの夏」「雪のかえりみち」(共に岩崎書店)など児童書のほかに「おしゃべりな診察室」「医者も驚く病気の話」「堺O-157 カイワレはこうして犯人にされた!」など。
日本の古い認識にご用心
私は小児神経外科医として、子どもたちの頭部外傷を診ています。
前回のブログでは、10カ月の乳児が転んで硬膜下出血と眼底出血が発見されただけで小児科で「揺さぶられっ子症候群(SBS)」と診断され、児童相談所(児相)から虐待が疑われ、親子が引き離され苦しんだ話を取り上げました。もちろん、揺さぶった事実などありません。
事故なのに、どうして、こんなことが起きてしまうのでしょうか。
朝日・毎日新聞の報道によると、9月24日から5日間、最高検察庁と法務省が検事を対象に、「虐待を見抜くための研修会」を開いたということでした。
この記事からは、虐待が増えている、官庁は率先して取り組んでいるという印象を与えられます。
本当でしょうか?
朝日新聞では、「児童虐待は、親などの加害者が暴行を『転んでぶつけた』などと否認したり、家庭内のため、子ども以外の目撃者がいなかったり、といった捜査の難しさがある」と紹介されています。
そのあとに続く文章で、教育担当の小児科医は「乳幼児の転倒などで頭蓋内に重大な傷を負うことはまれで、重い外傷があれば、大人による暴行を考えるべきだと検事に説明したい」と言っているとあります。
しかし、現場の小児脳神経外科医は「乳幼児は、転倒などで頭蓋内に重い外傷を負うことはまれではない」ということを経験から実感しています。
あらためて言い換えると、「虐待事件は養育者の状況説明の信頼性が大事」なのです。子どもが傷をおったときの症状について、養育者が医師に受け入れられる説明をすることができなければ、「信用できないと判断される」のです。検事や警察官、児童相談所の職員、一般の医療関係者などを教育する医師の受容範囲が狭かったり、認識がまちがっていたら、教育される側はそのまま信じて、現場で対応していきます。
実は、この領域には、もう一つ問題があります。
SBSに伴うことが多い「硬膜下出血、眼底出血、脳症(脳障害)」を「三症状」とし、欧米では、「この三症状があれば即SBSである」という単純な診断が、1970年代後半から横行しました。
この三症状がありさえすれば、容赦なく虐待のレッテルが貼られたのです。
米国では養育者の冤罪が多発
1990年代から米国の小児科学会を中心としたグループが、虐待防止の一大キャンペーンを行った結果、揺さぶりや虐待の事実の証明もされないままに、三症状があるだけで、まさに魔女狩りのように、養育者を加害者扱いした冤罪が多発しました。
20年を経て、2010年にニューヨークタイムスは「1990年代以降、三症状だけで冤罪になった人がたくさんいる。慎重な判断が必要」という法曹界からの意見を掲載しています。
最近の欧米は、虐待の有無については、医師や警察だけでなく、ほかのジャンルの専門家の視点からも精密な検討が行われるようになってきています。
そして、「SBSは仮説であること」、「二症状(硬膜下出血、眼底出血)や三症状があってもSBSではない病気もある」ことが理解されて、SBSかどうかの確認には、「揺さぶった証明(自白や目撃)があるかないか」という原点に立ち戻りました。
このように、世界は虐待の診断に慎重な段階に進んでいるのに、日本では未だ「二症状・三症状があればSBSだから、児相に通告を」という縛りで、現場が支配されています。
なんという時代遅れ、なんという人権無視の処分でしょうか!
スウェーデンの事件―-父親が加害者?
ここで国際的にSBS裁判に変化をもたらしていくような象徴的な研究や判決が出たスウェーデンの例をご紹介します*。
訴状は「2009年5月14日自宅で、生後2カ月の双子の長男に、揺さぶりなどで頭部に暴力を加え、硬膜下出血と眼底出血のあるSBSを起こさせた」というものです。
父親は「故意・不注意で傷害は与えておらず、緊急事態に対応する行為(蘇生処置としては揺さぶった)をしただけで、犯罪行為は行なっていない」と応じています。
この双子は帝王切開で2009年2月25日に出まれ、出生の数週間後、弟がRSウィルスに感染し、この長男も感染。2人は3月18日から14日間入院しました。(著者注:RSウイルスは乳幼児に重い肺炎を起こすだけでなく、脳症も起こすウイルスです)
5月14日、長男は2日連続で「激しい嘔吐」を繰り返したので、小児医療センターを受診。18時ごろ、父親といっしょに自宅の洗面室にいた長男が叫び続けた後、急に静かになり、母親が入室したときには、生気がなく、呼吸も乱れていました。
そして、救急搬送された病院で、三症状が見つかり、SBSと通告されたというわけです。
父親は法廷で「長男は急に激しく叫びだしたのち、静かになり、意識を失い、手足をダラッとさせ、白目をむいたので、私はパニックになって、長男を揺さぶり、意識を戻そうとした」と主張します。
裁判の争点は、「父親が長男を揺さぶったり、そのほかの暴力を頭部に加えることによって傷害したのかどうか」になりました。
裁判は最高裁まで
父親が長男への虐待で訴えられたのが2009年。3年後の控訴審でも三症状があるという理由で有罪になりました。
ところが2014年の最高裁では一点逆転無罪になったのです。判決をドラマチックに変えたのは、科学的な思考と分析でした。
その背景には、スウェーデン医療技術表価及び医療福祉評価局(SBU)が組織をあげて、『どのような科学的な証拠が、暴力的なゆさぶりの証拠として有用であるか』を明らかにするために、世界中の文献を検索し分析する大プロジェクトを立ち上げました。
その分析結果から、「三症状の存在だけで、暴力的ゆさぶりを立証するものと言うことはできない」「いつ、何によって長男の具合が悪くなったのか、わからない」と検察側の証人の医師が述べ、弁護側証人の意見に同意しています。
弁護側の医師(放射線医学の教授・元スウェーデン医療技術評価及び医療福祉評価局[SBU]の科学諮問委員会の委員長)は、「『三症状が、暴⼒的なゆさぶりの強⼒な証拠である』という主張は、医学的な証拠が比較的薄かったにもかかわらず、数十年間、医学的な真実のように扱われ、証拠として採用されてきた。しかし、精査してみると、暴力的ゆさぶりの診断についての確立した診断基準は、現在存在していない」とハッキリと結論を述べました。
最高裁の判決の根拠とは
最高裁は、以下の4点を判決の根拠にしました。
洗面室で、何が起きたのかを明らかにする証拠がない。
父親が再現したビデオ録画では、その揺さぶりは比較的慎重なものであり、暴力的な揺さぶりとは全く異なる(米国小児科学会は、「暴力的な揺さぶりとは、見かけた人が即座に子どもがとても危険な方法で扱われていることに気付くに違いない」と定義している)。
収集された事実からは、長男の障害が父親による暴⼒的な揺さぶりなどによって生じたと決めつけられない。
他方で、長男がもともとRSウィルスにかかっていたことや、古い硬膜下血腫のなごりがあったことなどから、長男の症状について外傷以外の説明ができるかもしれない。
そして、2014年11月2日の最⾼裁の判決は、「父親が長男の障害の原因を与えたとすることはできないので、父親は無罪である」となりました。
理路整然、しごく納得できますよね。
突発事件が発生した時に、一緒にいたのは父親だけですが、だからと言って「彼が犯人」と断定するのは早計だというわけです。「子どもの状態が悪かったので、救命のために揺さぶった行為はある」が、「揺さぶりによって、症状が起きたわけではないと推測できる」というわけです。
翻って、日本の今
他人の子どもを抱いたタイミングが悪ければ被告人に!
さて、日本はどうでしょうか。
・三症状がある
・その場にいたのはあなただけ
・事件が起きたのは症状の出る直前
この論理だけで、未だに裁かれています。
私が傍聴に通った東京地裁の事件です。
2013年8月4日、母子家庭の2ヵ月半の乳児がスーパーマーケットで痙攣を起こし、三症状が確認され、SBSの診断が出ました。
妊娠中からこの母親の面倒を何かと見てきた知人の大家族11人と一緒に買い物中のできごとでした。
このとき、最後に子どもを抱いていた人が、5ヵ月後に逮捕されます。
罪状を認めないため、保釈請求にもかかわらず196日も身柄を拘束されます。
そして、2014年4月17日冒頭陳述、10回目の11月26日判決言い渡されます。
「有罪。懲役3年執行猶予5年」!
なんとスウェーデンの最高裁判決で無罪が出た同じ年の同じ11月です!
私にはさまざまな疑問が湧き、怒りもありました。
一貫して、犯行の自白はありません。
被告人とその家族はこう言います。
「買い物に出る前から子どもは元気がなく、病院受診を進めたほどである」「嘔吐した」「ミルクを飲みたがらなかった」などと陳述しましたが、裁判官は「家族の発言は信用できない」と退けました。
その一方で、「子どもを抱いた被告人を、一瞬だけ見かけた人物」が検察側から出てきて、人形を使って揺さぶりを再現しましたが、危険を感じるような仕草ではありませんでした。
しかし、1審の裁判官は、「目撃者は第三者だから信用できる(確かに揺さぶった事実がある)」として、あのような判決を出したのです。
これが、2014年の日本のSBS裁判の現実でした。
2015年の控訴審も検察側の証人の脳神経外科医が「“検察によく協力している自分”が言うのだから、彼が犯人です」と言い、科学的な証拠は示さないまま、有罪が確定しています。
犯人探しはだれのため?
SBSの三症状があったばかりに、すっかりSBS裁判に仕立て上げられてしまった、この事件。
検察のストーリーはこうです。
「SBSだと医者が言っている。自白がないなら、目撃者捜し(仕立て)をすべし」
なにがなんでも犯人を仕立て上げよう、という無駄な努力としか思えません。
そして、こうして罪のない人が犯人にとなっていくのです。
このケースで犯人捜しは必要だったのでしょうか?
本当に虐待が存在したのでしょうか?
採用されなかった家族の発言を組み合わせると、「もともと具合の悪かった子どもが、スーパーマーケットで痙攣を起こし、三症状があっただけ。自白などない。SBS以外の病気もあり得る」となります。それで具合が悪くなったのです、それでいいではありませんか。
この犯人捜しは、子どもの母親と被告人の家族の間に修復できない亀裂を生み出しました。
今、4歳の児童は歩き、しゃべり、実父・実母と暮らしていると聞くと、この事件の最大の不幸は、冤罪の被告人とその家族にあると思います。
日本の裁判の仕組みだけでなく、一部の医師への不信が煽られたのは本当に残念です。
これを読んだあなたは、この轍を踏まないようにご用心ください。
付記
2017年10月25日NPO「SBS検証プロジェクト」が、笹倉香奈・甲南大教授(刑事法)や秋田真志・弁護士などのメンバーで発足し、「虐待は許されないが、無実の親らが不十分な根拠で処罰されることは防ぎたい」と冤罪救済の活動を開始しました。http://shakenbaby-review.com/index.html
*2014年のスウェーデン最高裁判所の判決文については、スウェーデン語の英訳版を、秋田真志・弁護士(しんゆう法律事務所)と笹倉香奈・法学部教授(甲南大学)が邦訳され、2017年10月に公開されたものを、2016年10月のスウェーデン医療技術評価及び医療福祉評価局(SBU)の調査報告書は笹倉香奈先生の邦訳を参考にさせていただきました。お二人に敬意を表します。
投稿者:mieta