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桃太郎は社会を映す鏡!? 空からのぞいた桃太郎刊行記念イベント 後編

こんにちは。岩崎書店ブログ管理人の大塚芙美恵です。

紀伊國屋新宿本店にて、昨年の10月に行われました『空からのぞいた桃太郎』の刊行記念トークショーの様子を前、後編でレポートしています。

 

前編はこちら

www.iwasakishoten.site

 

前編に引き続き、影山徹先生と弊社CEO岩崎夏海、そしてスペシャルゲストの上橋菜穂子先生のトークをお送りします。

影山先生の緻密な絵はどのように描かれているのか、上橋先生の『鹿の王』の制作秘話など、盛り沢山の内容です。それでは早速ご覧ください。

 

影山徹

1958年青森県生まれ。東京デザイナー学院卒業。印刷会社、デザイン事務所を経て82年よりフリー。90年講談社「年鑑日本のイラストレーション」新人賞。07〜08年『薄暮』篠田節子(日本経済新聞夕刊)09~10年『氷山の南』池澤夏樹(東京新聞朝刊など)12~13年『アトミックボックス』池澤夏樹(毎日新聞朝刊)の挿絵。ピンポイントギャラリーなどで個展。書籍の装画を中心に活動。

 

上橋菜穂子

作家・文化人類学者。
東京都生まれ。香蘭女学校高等科卒業。立教大学文学部卒業。
立教大学大学院博士課程単位取得(文学博士)。専門は文化人類学。
オーストラリアの先住民アボリジニについて研究している。
現在、川村学園女子大学特任教授。
1989年『精霊の木』で作家デビュー。主な著書に『精霊の守り人』を初めとする「守り人」シリーズ、『狐笛のかなた』、『獣の奏者』、『鹿の王』などがある。

  

きびだんごは一億イヌー?

 影山さんの絵には、緻密な設計があるという気がしますが、いかがですか?

 僕は、下書きを設計図のように描きます。なので、下書きを描き終えたらほぼ完成絵と同じです。

 寸分たがわない形で、あとは塗り絵だそうです。

 やはりそうですか。とても構図がしっかりしているな、と思っていたので。

 それが『空からのぞいた桃太郎』の構図も、わずか二週間ほどで描いてくださったんです。

 岩崎さんから桃太郎のお話をいただいたときに、桃太郎を俯瞰で見るという話になりました。打ち合わせの段階で、見開き15枚のイメージがほぼ決まり、打ち合わせの帰り道に、頭の中で絵の構想が全てできあがりました。

 

岩崎書店のブログ 空からのぞいた桃太郎
このように俯瞰で描かれています

 すごいですね!

 家に帰ってラフを描いて、すぐに岩崎さんに送りました。

 私と影山さんは、桃太郎に対する思いがシンクロしていて、お互いに前段の知識もあったので、打ち合わせも極端に少なくて済みました。それから『空からのぞいた桃太郎』の絵をじっくり見てもらうとわかりますが、同じ絵の中に違う角度の絵を描いています。パースをゆがめながら描いて、気持ち悪くならないというのは、高い技術が必要なんですよね。

 おじいさんおばあさんのページは、真上から見たところですが、旅に出るページは少し斜めからになっています。斜めから見せないと、背景の向こう側が見えなくなるので、アングルを変えています。

岩崎書店のブログ 空からのぞいた桃太郎真上からのアングル

岩崎書店のブログ 空からのぞいた桃太郎少し斜めからのアングル

 そういった工夫を気づかれないように行うというのが、とても高度なテクニックで、そのことをみなさんに伝えたいですね。

 『空からのぞいた桃太郎』ですごく特徴的だと感じたのは、世界が主人公で、人は小さいんですね。上から覗いた形になっています。

影 そうです。よくある指摘として、周辺に1人も住民がいないというものがありますが、僕が考えた設定は、それぞれに国があるんですね。鬼ヶ島までの道のりに、犬の国、猿の国、キジの国があります。そういった中で桃太郎は、おじいさんとおばあさんの国で育てられました。おじいさんおばあさんの国は大国である一方で、周辺の犬の国はすごく貧しく、きびだんごが犬の世界の通貨で、一億イヌーといったイメージです。

 一億イヌー(笑)

 きびだんごが、いわゆる一生暮らしていけるくらいの価値なので、きびだんご目当てに犬から近寄ってくるんですよ。重傷をおってもいいけど、一生暮らしていける資金をもらえると。その次の猿もですね。

 一億サルーなんですね(笑)

空からのぞいた桃太郎 影山徹 上橋菜穂子 岩崎書店のブログ

 そうなんです。わりと犬、猿、キジの方がずる賢いです。

 そして鬼がやっつけられるページを見ていると、鬼がとてもかわいそうですよね。

 えぇ。しかし桃太郎自体は全く意思を持っておらず、非常に気持ち悪い存在です。成長過程から鬼を退治して戻ってくるまで一切、桃太郎の心の中は見えないんですよね。

 影山さんは世界が主人公になっているものを描くのが、お得意ですよね。『十五少年漂流記』、『旅のラゴス』、そして『鹿の王』も世界が主人公です。

 面白いですね。私は文化人類学者なので、オーストラリアの先住民であるアボリジニと暮らした経験があります。

その経験の中で感じたのは、伝えられてきた物語をどう感じ、どう考えるかというのは、その時代、その時代の社会の影響を受けて変化していくものなのだ、ということでした。桃太郎はとても長く生き残ってきた物語ですが、それを現代の私たちが読むと、「一億イヌー」といった新たな意味づけをしながら表現するようになる。映し鏡のように、私たちの時代の物語感が透けて見えるようなものですね。それだけ桃太郎というのは、強靱な物語なんだと思います。

 先生の仰るとおりで、実は桃太郎は、第二次世界大戦中にプロパガンダに使われました。そのため、大戦後に排斥しようという動きが起きました。その排斥に反対したのが、福音館書店の松居直さんです。松居さんは、「桃太郎が悪いわけではなく、桃太郎を利用した軍国教育や軍部が悪いのだ」ということで桃太郎を再興しようと思い、赤羽末吉さんの絵で、桃太郎の絵本を作りました。
150万部程売れたので、戦後の桃太郎は、松井直さんの絵本のイメージとなっている部分が大きいですね。

ももたろう (日本傑作絵本シリーズ)

ももたろう (日本傑作絵本シリーズ)

 

 あの桃太郎の姿になったのも、明治以降という説もありますし、長く生きてきた桃太郎についての解釈の変遷からは、わたしたち自身の社会の変遷がよくみえてくるわけで、その最先端にいるのが、この『空からのぞいた桃太郎』なのでしょうね。

 

f:id:iwasakishoten:20171220135214j:plain『空からのぞいた桃太郎』には解説の冊子がついていて、桃太郎のおかしなところ、現代の言葉でいうと「ツッコミどころ」が書かれています。桃太郎は善なのか悪なのか、それともどちらでもないのか、様々な視点で感じることができます。

鹿の王が生まれるまで、桃太郎は善なのか悪なのか

空からのぞいた桃太郎 影山徹 上橋菜穂子 岩崎書店のブログ

 上橋さんの『鹿の王』は感染病がテーマとしてありますよね? 

 そうですね。実は『鹿の王』を書こうと調べてみても、伝染病がなぜ静まっていくのか、理由が明確にはわからなかったんです。生き物の歴史の中で、何度もパンデミックが起きますが、それで人類が完全に滅びてしまったということもないというのも面白いですよね。

 そうですね。結局はその生き残った人の中に抗体をみつけ、自分たちの体に入れて強くなっていくんですよね。

 ええ。オーストラリアで、入植者が持ってきてしまったウサギが異常な増え方をしたときに、病原体をいれて殺そうとしたことがありました。その伝染病で多くのウサギが死にましたが、抗体を持っているウサギもいたようで、生き延びるものがいて、今度はその伝染病に強いウサギが繁殖をしていったそうです。

私たちの体の中には、自分たちの体細胞よりも多い他の生物が一緒に暮らしています。その生物たちと私たちの命がせめぎ合いながら生きている。生きるということはどういうことなのだろう、という話を書いたのが『鹿の王』です。

ただ、私の場合は、テーマよりも先にまず、シーンが頭に浮かぶのです。最初に浮かんだのは、人では失くなっていく男を一生懸命追いかける小さな女の子の後ろ姿でした。その後に、ストーリーが浮かんでくるのです。

 「鹿の王」というタイトルは、いつごろお決めになったんですか?

 最初から頭の中には「鹿の王」というタイトルがあって、でも、いつになっても「鹿の王」に話がならないので困っていました。意識と無意識の間に物語があって、いつまでも引っかかることはありませんか? 引っかかりを理屈で失くしてしまえばいいのですが、どうしても失くせないでいたら、鹿の王という言葉が意外と大切なことだったんです。

 たしかに読み始めの頃は、あまり鹿と関係ないですよね。

 そうです。犬ばかりで「犬の王かい!」って話ですけど(笑)

 でも読み終わると、鹿の王のイメージがありますよね。

 そうですね。紀元前からずっと、人類の歴史の中には様々な信仰があって、当時のパンデミックの捉え方は、祟りでしたよね。

 そうですね。でも、昔から人間は、医学をしっかりと行っている生き物だと思います。人の手で治せる部分と、治せない部分のせめぎ合いなんだろうと思います。そして現在も感染症に関しては、かかる人と、かからない人がなぜいるのかが、100%解明されてはいないようです。人間にとって1番怖いのは、「わからない」ということなのでしょうね。
そして、運命や神という理解しやすい理屈を持っていきたくなり、物語が生まれてしまうんですね。

世界の植民地と病の歴史を重ねてみると、ある土地になかった病が、人の移動によってもたらされて、免疫がないために多くの人々が病死してしまったという事例があります。

『鹿の王』では、その逆で、その土地に住んでいた人たちには免疫がある病に、新しくやってきた人々がかかってしまう。その場合、「やってきたのが間違いだって神が言っている」という理屈が、先住民の心に芽生えるのではないかと思ったのです。

それに対して、そのような考え方ではいけないと思う若き医者ホッサルがいます。そういう病に対する意識のせめぎ合いを描いてみました。

 先生の作品の中には、多様なキャラクターがいて、どのキャラクターの気持ちもわかりますよね。

 そうだといいのですが。私は、この世には絶対の正義というのはないのでは、と思っています。それぞれの状況に、それぞれがどう対応していくか、その選択があるだけで。

 先生は善や悪を持ちたくなったときは、ありますか?

 むしろ、私は、善や悪が生じる場面の方に興味がありますね。

 俯瞰でみて、それこそ空から見て、ですね。

 そうですね。優しさや暖かみは最初からありそうですよね。『鹿の王』もそうですが、自分を犠牲にして、他の者を助けてしまうような人間って、時々いますから。生物学者たちが、どういう遺伝子の問題で、それが進化に適応しているんだろうと、懸命に調べていますが、恐らくそういうことは関係なしに、おっちょこちょいでつい助けちゃう人も世の中にいるのでは、と思っています。それを後から見た人たちが、どう評価するかによって、善と悪とが現れてくるのかもしれません。

 影山さんも、以前、全く同じことを仰っていましたよね。

 僕もそうなんです。勧善懲悪の見方を、変えてみたいと思っています。桃太郎でも、鬼=悪の象徴ではなくて、鬼を角の生えた別の人種だと考えてみる。なので「空からのぞいた桃太郎」では鬼は鬼の国で生活してるんです。

 桃太郎も悪にしたくなかったんですよね。

 それがまた面白いところですね。先程、桃太郎を変な子と仰っていましたもんね。

 桃太郎が悪になってしまうと、それはそれでよろしくない、と影山さんがこだわっていらっしゃいました。

 軍国主義の明治から、絶え間なく近隣の国と戦争していたじゃないですか。それを鬼とたとえる場合があるので、そういう考え方になるとまたちょっと問題なんですよね。

 こういうシンプルで、そして長く生き残ってきた作品は、強い象徴性にひっかかりやすく、常にそういった危険がありますね。

 そうですね。プロパガンダに使われてしまいます。

 強い力に吸い込まれてしまう可能性を、いかに飛び跳ねられるかというところを、空からのぞいたわけですね。とても面白いですね。 

 影山さん、また一緒に面白い絵本を作ってくださいますか?

 作りたいです。

 それではまた是非一緒にお願いします!
 

さいごに

『空からのぞいた桃太郎』の刊行イベントを前・後編でお送りしました。影山徹先生の緻密な絵の数々に、会場は惹きつけられていました。俯瞰で描かれた桃太郎は、善でも悪でもない存在。そんな桃太郎の不気味さを感じながら読んでみるのも、面白いかもしれません。

そしてスペシャルゲストの上橋菜穂子先生の「鹿の王」の貴重な制作秘話も聞けて、とても濃い時間となりました。

それではみなさん最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

空からのぞいた桃太郎

空からのぞいた桃太郎

 
鹿の王 (上) ‐‐生き残った者‐‐

鹿の王 (上) ‐‐生き残った者‐‐

 
鹿の王 (下) ‐‐還って行く者‐‐

鹿の王 (下) ‐‐還って行く者‐‐

 

 

投稿者 大塚芙美恵