明日はわが身? 子どものケガでお縄頂戴!?
脳神経外科医であり、作家として岩崎書店からベストセラー『雪のかえりみち』(2000年)と『まほうの夏』(2002年)を出された藤原一枝先生。2冊とも発売以来、版を重ねていますが、特に『雪のかえりみち』は平成13年度の児童福祉文化賞を受賞し、フランス・韓国・中国本土・台湾などで翻訳出版されています。
ところが米国では翻訳出版されていません。
そのわけとは、この2冊の絵本に描かれている、子どもだけで学校から帰るとか、兄弟だけで田舎の親戚に行くという物語が、米国ではネグレクト(育児放棄)という虐待の扱いになるからです。
小児脳神経外科医である藤原先生から、児童虐待に深く関わる頭のケガのこと、虐待を疑われる仕組みなどについて、ご寄稿いただきました。
雪のために学校が早く終わった日、一人で寒さや切なさに耐え、親切な大人に励まされながら帰宅した男の子の気持ちをあたたかく描く。
虫取り、海水浴、木登り、海つり! 夏休みにおかあさんのいなかに行った兄弟のまほうのような夏の思い出を描く。
子どもはいつケガをするか、わからない
子育てって、日々発見が多く、楽しくうれしい反面、日常的にハラハラドキドキの組み合わせですよね。事故と背中合わせで、「打ちどころが悪かったら」「タイミングが悪かったら」と冷や汗をかく体験は日常的です。
だれだって、交通事故や高所からの転落などは危ないと思いますが、家の中でちょっと転んだだけで、嘔吐したり、けいれんが起こったりするとは思っていません。
でも、そうなれば病院や医師が頼りですから、すぐ救急車を呼びます。
「すぐ行く」のが親の情でしょう。
吐いたり、けいれんが起きて、一番怖いのは頭の中になにか異変が生じていることですよね。
ですから、頭のCTを撮ってほしいと、だれもが願うでしょう。
CTはじっとしていれば5分もかからない検査で、どの病院にでも機器があり、保険も利き、高い検査ではありません。出血しているかどうか、すぐ分かります。
でも、放射線を浴びるので、特に小児にCT検査が必要かどうかについて、欧米ではきびしい基準を設けています。
最近の日本では、軽い症状の人には「検査をしても『何でもなかった』ということが多いということと、今後、現れるかもしれない放射線の害とを天秤にかけて、医者としてはお勧めしません」という説明をしてから、親に検査をするかどうか委ねています。
もちろん、検査で異常がなくても、医師は「数日は養生や観察が必要ですよ。何かあったら、すぐ来てください」と強調します。
ところで、あなたは、今まで児童虐待のニュースを目にしても、自分には関係ないと思っていませんでしたか?
思いがけず、子どもの頭の事故が起こり、病院に行ったら医師から虐待の嫌疑をかけられることがあるなんて、信じられますか?
つかまり立ちで転んでけいれんが起きた・・1例目
2012年のある日の午後2時半頃、母親が隣室に立ち、一瞬目を離したすきにリビングでゴンという音がしたのでかけつけると、7カ月の息子が仰向きに倒れていました。
直前まで彼はソファにつかまり立ちしていたはずです。床はフローリングの上にキルティングマットとウレタンマットが敷いてありました。
すぐ泣き出したのですが、全身脱力・けいれん・意識障害があり、救急車で都内某大学の救急部を受診しました。
子どもは次第に元気になっていったので、担当の医師は「経過観察でよいですよ、CTは不要です」と診断しました。
CT検査で硬膜下出血が見つかった
ところが、あとからかけつけた若い父親は万が一のために、とCT検査を希望します(この父親は医師なので、CT検査の功罪も分かっていました)。
すると、午後5時ごろに撮ったCT検査で、硬膜下出血(頭蓋骨と脳の間の出血)が見つかったのです!
でも、子どもは元気で麻痺もなく、今すぐ手術が必要な状態ではありません。
しかし、今度は担当の医師が「頭の中の出血がどうなるのか、入院して経過を観察する必要があるが、ここは適当ではない」と、遠くの小児専門病院に転送されることになりました。
両親は不安や心配や混乱を募らせていましたが、国内有数の小児専門病院に入院となれば「遠くても任せよう」とちょっと安堵の気持ちも沸いていたでしょう。
しかし。
眼底出血が見つかった
入院した病院でも子どもはずっと元気でしたが、眼底検査が行われ、「両眼に眼底出血がある」となってからは事態は急転、地獄に突き落とされました。
医師からすぐ、「揺さぶられっ子症候群(SBS)の疑いがあります。児童相談所(以下・児相)に通告します」と言われたのです。
もう、なにがなんだか分かりません。
これは一体、どういうことでしょうか。
揺さぶられっ子症候群(SBS)の疑い
SBSというのは、泣きやまない乳児を暴力的に激しく揺さぶることで、「外表に頭部打撲はないのに、硬膜下出血、眼底出血、脳損傷、特殊な骨折(長管骨骨幹端骨折)」などが起こっている状態を指します。
1歳以下の乳児に多くみられます。
1972年に米国で報告された主意は、「身体の外表に傷やあざがなくても、脳に損傷が起こっている虐待の1パターンがある」と知らしめることでした。
しかし、「SBSは虐待である」から「ほとんどの虐待はSBSによる」との誤解が蔓延する中、いつしか「硬膜下血腫と眼底出血があればSBSである」と拡大解釈されるようになっていました。
そのため、1990年代から虐待防止の一大キャンペーンを行っていた米国では、揺さぶりや他の虐待の事実の証明もないままに、保護者を加害者扱いしていた時期がありました。
現在は、医師や警察だけでなく、多業種の専門家によって、虐待の有無についても繊細な検討を行っていると聞いています。
では、世界に遅れて児童虐待に関わりだした日本は、過去の米国の轍を踏まず、賢い対応ができているのでしょうか?
疑われた母親
ケース1のこの若い医師の家に対して、即座に「子どもに危険が迫っているので、子どもは病院に入院させたままにして、自宅には戻さない」という児相による“一時保護”処分が下り、それは2週間にも及びました。
思い当たることはありません。
まさに青天の霹靂です。
児相の決定の根拠になる専門医の意見書は2通あります。
ひとつは病理専門医による「出血は母親の説明のような状況では考えにくい。SBSと考えるのがもっとも自然だ」という意見。
そして、もうひとつは脳神経外科医の「CT検査から1回のそのケガからとは考えにくく、SBSの可能性は否定できない」という意見でした。
意見書は児相を経た病院提供の資料だけを見て書くものです。母親の供述の真偽を彼らが判定する機会はありません。
真っ黒でなくても、グレーであれば、証拠になるのです!
だれも揺すぶってはいないのです。
とうてい納得できない決定に、父親である医師は、「虐待でなくても、小児に硬膜下出血を起こす頭部外傷(中村Ⅰ型)」という病名を見つけ、その可能性を主張しますが、児相は認めません。
父母の身上調査も行なわれる中で、2週間の“一時保護”のあとに、乳児院にこそ入れられませんでしたが、9カ月間は家庭訪問などの行政処分を受けることになりました。
つまり、社会的には母親は有罪扱いだったのです。
「密室にあなたと子どもしかいなかったから」というのが児相の言い分のひとつですが、そうであれば、児相からすると、子育て中の母親はだれもが常に、容疑者になりうるのです!
冤罪被害者として
この医師は家族3人に対する児相の扱いに裁判を起こすことも考えましたが、労力と時間を考え、起訴することはあきらめます。
そして、「典型的な中村Ⅰ型であって、ほかのものではない」と診断してくれた小児脳神経外科の専門医・青木信彦医師に、「冤罪被害者として声をあげたい」「他の人が同じ目に遇わないように願っている」と申し入れます。
青木医師は脳神経外科の学会で発表したり、小児科医がよく読む医学誌に「診断をまちがえられた例」として報告しますが、広く世間の知るところにはなっていきませんでした。
中村Ⅰ型とは
頭部外傷の分野で日本の権威の慈恵医大脳神経外科名誉教授の中村紀夫医師が、「つかまり立ちで後方に転んだ」とか「ソファから落ちた」などのごく軽い衝撃のあとで、(頭蓋骨と脳の間を流れる架橋静脈という細い血管が切れて)硬膜下出血になり、眼底出血も合併していた数例に気づきます。世界で初めて着目し、1965年に論文にしたこの病態や症候を日本では「中村Ⅰ型」と称しています。
私もCTが普及した30年以上前に、典型的な病態の3人を手術したことがありますが、彼らは今、元気で働いています。どの保護者も虐待など露ほども疑えない人たちでした。
ところが、英語圏で認識されていないことに気づいた青木信彦医師らが、1984年に世界的な脳神経外科の雑誌に報告したところ、「硬膜下出血+眼底出血=虐待」の図式が席巻していた米国の医師から「虐待の見落としである」とバッシングされ、無視されます。
さらに、米国の虐待医学を学んできた、日本の小児科医たちがわが国の虐待防止の中心になった段階で、中村Ⅰ型は認知されていないだけでなく、否定・排斥の扱いとなりました。
そして、とどのつまり、現在も事故原因に「転んだ」「落ちた」という言葉が入った保護者の申告を、「虚言」として扱う小児専門病院が都内に2カ所はあるのです!
刑事裁判よりキツイ児相の判断
ていねいに調査されていればいいのですが、主たる症状の硬膜下出血と眼底出血の合併だけを問題視して、その前提の虐待や揺さぶりの行為は証明されていない症例にも、機械的にSBSという診断名がつけられていくというこわさ!
これが冤罪の起こる仕組みです!
虐待か否かは、厚生労働省や自治体が設置した児童相談所が強大な決定権をもっています。その権力は警察以上です。
人権に関わるのに、その手続きの精密さや根拠が示されないまま、マニュアル通りに処理され、その決定が正しかったかどうかもフィードバックされていません。しかも、子どもという人質を取られているので、異議申し立てがしにくい仕組みです。
児相が意見書を求める“医学の専門家”すべてが、本当の虐待医学の専門家ではありません。担当する彼らの氏名は公表されるべきです。
意見書で運命を左右される家族だけでなく、児相や警察や検察は、この“医学の専門家”から虐待医学の教育を受けているからです。
児童虐待の一般人からの通告の電話は、一昨年から『189(イチハヤク)』になり、昨年6月、児童福祉法が改定され、医師にも「疑い段階でも通告する」義務が付与されています。
そして、虐待医学の中心メンバーは虐待者を見逃すことをもっとも恐れ、「アヤシイと思った人はオーバートリアージ(虐待であるとみなす)してもよい」と広言し、刑事事件の「疑わしきは罰せず」とは違う刑罰の世界を展開しています。
彼らの決定がフィードバックされればいいのですが、冤罪の発生を露ほども疑っていないのは危険です。
今、小児脳神経外科医たちが危機感を持って、中村Ⅰ型の存在をアピールしようとしています。
その目的は明瞭です。
小児科医や放射線科医や法医学者たちが、硬膜下出血と眼底出血などがあったとしても、虐待とは無関係な病態であると理解し、認めれば、冤罪に陥る症例は明らかに減るからです。
青木医師は、日本の14施設から報告された203人の分析を日本語でまとめて、2011年に小児脳神経外科学会の機関誌「小児の脳神経」に発表しています。
2016年の中村Ⅰ型はもっとひどい処分・・2例目
2012年の例は、確かに密室で起きていますが、もし、第三者がいるところで同じことが起きていたら、どうでしょうか。しかも、その第三者が「虐待でない」と証言すれば、SBSではないはずです。
ところが、日本の児相は2016年の場合も、そうは考えませんでした。
五月人形を皆で選ぼうと、家族3人が県外の父親の実家を訪問していました。リビングのローテーブルにつかまり立ちしていた10カ月の男児を父親の両親と母親が見ていました。男児が手を離して棒のように後ろに倒れたとき、大人3人の支えようとする手は間に合わず、男児は絨毯を敷いた床に頭をぶつけてしまいます。
こぶや傷はなかったのですが、けいれんや嘔吐があったので、すぐ救急車で搬送されました。
嘔吐が3回あったことを理由にCT検査が行われ、硬膜下出血と同側の脳の腫れが見つかり、小児科に入院します。
翌日のCT検査で改善傾向が認められ、男児もすっかり元気で、「数日で帰れるでしょう」が脳神経外科医の言葉でした。
ところが、連休もあったので入院4日目に受けた検査で眼底出血が見つかるや、医師の態度は豹変し、「SBSの疑いで、居住地の児童相談所に通告しました」と告げられました。
もちろん、母親たちは揺さぶった覚えなどないので抗議しましたが、「硬膜下出血と眼底出血があれば、病院は児相に通告する義務がある」と言われます。
母子だけの密室の出来事でもないのに、揺さぶったと疑われたのです。「第三者」である男児の父親側の祖父母も一緒だったし、大人3人が結託して事件を起こすとは思えないと、ふつうは考えると思います。
しかし、入院6日目に、居住県からはるばる病院へ児相の担当者が来ます。
「話をすれば虐待でないことをわかってもらえる」と信じて臨んだ母親は、見事に裏切られました。事情も聞かず、担当の児童福祉士は一方的にこう言ったのです。
「お子さんは自宅へは返せません。乳児院への入所になると思います」
「子どもがケガをしたのだから、親の安全義務違反です」
非情な言葉でも、“安全義務違反”と言われれば、親は二の句はつげません。
入院が“一時保護”の扱いとなり、男児との外出や外泊すら認められなくなりました。
支離滅裂な理由、さらわれた子どもは人質
まるでカフカの世界、“公的な幼児誘拐”です。
乳児自体はもうなんの症状もなかったのにもかかわらず、搬送先病院から地元の病院に転院させられて、事故から2カ月経ったところで乳児院への施設入所の同意を促され、4カ月入所していました。毎日面会はできましたが・・・。
この行政処分の児相の理由はつぎのとおりです。
・虐待とは思っていないが、揺さぶられ症候群の可能性は否定できない。
・転倒しただけで、硬膜下血腫、眼底出血、脳浮腫を起すことは医学的にありえない。
・原因不明なので対策が取れない、児相が考える安心・安全な環境でなければ子どもは返せない。
・子どもがケガをしたことは、親の安全義務違反ということになる。
こうしたことを繰り返し言いながら、特別な指導がないまま、見張られていました。
虐待がないのに、付けられた支離滅裂な理由に、当然訴訟も考えましたが、“親の態度”を相手は評価の対象にしていると知人から忠告されます。下手なことはできません。
事故から6カ月後に「施設入所措置の停止」、翌月に正式に「入所措置の解除」となりますが、乳児院を退所しても自宅に戻ることは許されず、同県隣接市内の母親の実家を居住場所に指定されます。
まだしばらく、育児保育態度の観察が必要だというのです。
「保育園の利用は必須、24時間365日、第三者の監視がある生活をしなさい」という指示です。保育園の送迎も父親や母親が単独ではできず、有料のファミリーサポートやベビーシッターを利用しなければなりませんでした。
毎週、児相や市の職員の家庭訪問があり、「とにかく措置解除の条件を最低半年間は続けてほしい。約束を守ることに意味がある」「約束が守れないなら乳児院に戻ることもできますよ」と言い残していきます。
これは権威を笠に着た脅しです。
安全義務違反は児相の御旗、親の泣き所
この両親は事故から10カ月後に、「このケースは虐待ではない、中村Ⅰ型である」という青木医師の意見書を弁護士さんとともに児相に届けに行き、事故から13カ月後にすべての制限や監視が終了しました。
解除の理由は「約半年間家庭の様子を見て、問題がないことが確認されたため」で、「あくまで出血の原因は不明で、親の安全義務違反という見解は変わらない」ということですから、有罪の刑期が終わった、というわけです。
疑われたら最後なのです。
児相の面目、変わらぬマニュアル
つまり児相の面目は保たれ、反省のひとかけらもありません。
児相が繰り返し母親に投げかけた言葉は、こうでした。
・私たちは虐待を判断しない。
・原因も探らない。
・起きたことに対して処理するだけです。
・医学的判断をするのは医師です。
その後、この母親が転院先だった近所の病院の小児科医に会う機会があったので確かめると、中村Ⅰ型のことは知りませんでした!
そして、「『硬膜下血腫と眼底出血があればイコール揺さぶられ症候群である』という法則がまちがいの可能性があっても、小児科医として通告のハードルを下げる訳にはいかない。中村Ⅰ型のようなことは当然児相が知ってるでしょ?」と返事されたそうです。
嗚呼、アアですよね!! 絶望です。
ところで、昨今、虐待対応先進国の国々では、「激しい揺さぶり行為の確証のない症例に対しては、硬膜下出血と眼底出血が合併しているというだけでSBSという診断名を下すことは“科学的な根拠が乏しい”」とする見解が出るようになってきています。
翻って、わが国ではこの5年間も、児相はだれも疑問を持たず、原因を突きとめようとせず、責任を取ろうとせず、あくまで“虐待の疑い”としてマニュアルに沿った措置で終わらせようとしていたのです。2例目のすべてが終わったのが、今年の春とは直近の現実です。
病院に近づくのも、CT検査を気軽に受けるのもクワバラ、クワバラですね。
虐待防止とともに、中村Ⅰ型を認知させる活動
ところで、中村Ⅰ型関連では、ケガの仕方以外に、「架橋静脈が切れやすい」条件をその子ども自体が持っている可能性が指摘されだしました。
転倒や落下によって、同時期のすべての子どもに起こるのではなくて、「乳児期に、くも膜下腔が広い子ども」は、結果として「架橋静脈がわずかな衝撃で切れやすいので、「硬膜下出血が起こりやすい」という理解でいいと思います。
さて、今まで児童虐待のニュースを目にしても、自分には関係ないと思っていませんでしたか?
子どもの事故は思いがけず起こり、時にあらぬ方向から嫌疑をかけられる仕組みがあることがおわかりいだけたことと思います。当然、今、もあります。
さあ、そんな目にあわないために、気持ちを委縮させるのではなくて、もっと地域や社会に溶けこんで、みんなで子育てしていきましょう。
そして、理不尽な役所の扱いは直していきましょう。
今回ご披露したケースは、虐待の頭部外傷が処罰の対象として浮上してから、紛らわしい「中村Ⅰ型」が区別できなかっただけの問題ではありません。虐待の有無をふつうの大人に確かめる方法が、ご披露した内容であれば、私たちは救われません。「児相に楯突いたらコワイよ」よりも、楯突くすべがないことが不安です。
医師や医学界の責任も大きいのです。
もっと早く、少なくとも中村Ⅰ型を認知させてほしかったですね。
児相は、「医者が診断している、彼らから教育されている」と答えますから。
一方で、医師や医学界はその判定が及ぼす影響にあまりに無知でした。
児童福祉の面からは両者はもっと密に関わらないといけません。
見守られているならいいですが、見張られたり、疑われている育児なんて、いやですね。
付記)1例目は青木先生の症例報告を再合成し、2例目はカルテやCT検査を含めて見せていただきながら、児の母親にインタビューしたものです。
藤原一枝
藤原QOL研究所 代表
元・東京都都立墨東病院脳神経外科医長
愛媛県松山市生まれ。岡山大学医学部卒業後、日赤中央病院(現・日赤医療センター)小児科・国立小児病院(現・成育医療センター)小児神経科を経て、1974年から東京都立墨東病院脳神経外科勤務。1999年藤原QOL研究所設立。2012年からの中学1,2年の武道必修化に対し、青少年の柔道事故死の中に脳振盪軽視があることを分析し、警告を発した。国際的なスポーツ脳振盪評価ツール(SCAT)を翻訳し、公開している。
出版物は児童書のほかに「おしゃべりな診察室」「医者も驚く病気の話」「堺O-157 カイワレはこうして犯人にされた!」など。
投稿者:mieta